協会だより

夢を追って

新潟馬主によるリレーエッセー

ある雨の日の記憶

新潟馬主協会 理事 新潟馬主協会 理事 原禮子

2015年3月20日

馬主として思い出に残るレースはどれですか。ときどきそのようなご質問をいただくのですが、なかなか気のきいたお答えができなくて、いつも申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまいます。

初勝利のときのふわふわした感覚はいまでも昨日のことのようによみがえってきますし、もちろん、クラシックレースの表彰台に立ったときの足の震えは一生忘れることができないでしょう。しかし、それほどたくさんの馬を持ってきたわけでもない私は、勝っても負けても、いつも健気に走ってくれる一頭一頭が愛おしいばかりで、思い出を整理する余裕などないというのが正直なところです。

そのなかで、あえてひとつのレースをあげるとしたら、オメガハートランドが勝った2012年のフラワーカップとなるでしょうか。3月17日、朝のテレビ番組では、震災から一年目を迎えた一週間を振り返り、人と人の絆の温かさや、前向きに生きることの尊さが語られていました。そんな日に行われたレースは、思い出というよりはひとつの節目であり、ひいては、いまも私が新潟馬主協会の会員でいられることにつながっているのです。

オメガハートランドは、2歳9月の新馬戦を快勝、3戦めの500万円以下で2勝めをあげ、早々とオープン入りを果たしました。末脚の鋭さはなかなかのもので、4戦めのフェアリーステークスでは1番人気に支持されたほどです。ところが、ここで4着、つづくクイーンカップでも9着に敗れてしまい、フラワーカップでは6番人気にまで人気を落としていました。しかも、この日の中山競馬場は前夜からの雨に煙り、稍重馬場ではじまった芝コースは午後から重馬場にまで悪化していました。420kgにも満たない小柄な牝馬にはずいぶんと可哀想な条件になってしまったことから、「まずは無事に走ってきて…」と、私は祈るような心境でファンファーレを待っていました。

オメガハートランド 2012年 フラワーカップ オメガハートランド 2012年 フラワーカップ

いまはなくなってしまった中山競馬場のロイヤルシート、ここはゴールをだいぶ過ぎたところに位置していて、もともとレースが見やすい場所ではありません。オメガハートランドが中団で通過した2コーナーあたりからは、私はテレビモニターで展開を追うことにしました。そして直線、「来てる!」「ソレッ!」同じ席にいた社台ファームのスタッフの方たちの大きな声援に、ふたたび馬場に目を転じると、愛馬は先頭に踊り出るところでした。そのあとの数秒間のことは、実はあまりよく覚えていません。気がつけば、さきほどまで大きな声を張りあげていた方たちと次々と握手を交わしていました。その肩越しのテレビモニターが映し出していたのは、今度は泥にまみれて引き返してくるピンクの勝負服だけでした。馬主として初めての重賞制覇、私がそれを理解したのは、ようやくこの頃合になってからのことです。

少し気恥ずかしいような「優勝馬主」のリボンを胸にした私は、何もわからず、口取り記念撮影から表彰式へと周囲の方に導かれるままに動くだけです。ウィナーズサークルの人の多さが、重賞競走ならではの重みを物語っているかのようでした。そして長くもあり短くもあった一連のセレモニーが終わり、ようやく緊張から解放されようとしたとき、ふとこの目に入ってきた景色を私はけっして忘れることはないでしょう。

オメガハートランド 2012年 フラワーカップ オメガハートランド 2012年 フラワーカップ

おだやかな笑みで待っていてくれた社台ファームの方々が、一様に全身びっしょりと濡れていたのです。馬を生業とされる方たちが、ウィナーズサークルで傘をさされないことは知っています。それにしても、吉田照哉さんまでもがずぶ濡れで、帽子の縁から雨の筋を滴らせているシーンには胸を締めつけられそうになりました。

私はといえば、競馬場の女性スタッフがずっと傘をさしかけてくださったおかげで、わずかに肩先が濡れているだけでした。わが身を恥じるような思いのなか、私のささやかな競馬史がよみがえってきました。馬主登録を取得したのが1996年、ほどなくして吉田照哉さんと知り合い、初めて紹介していただいた外国産馬がのちに4勝もしてくれて……これまでも、そのご恩を忘れたことはありません。しかし、その思いさえ、まだまだ幼いものであったことがわかりました。

北海道の牧場や山元トレーニングセンターなど、私が社台ファームの施設にお邪魔するのは、たいていは空の青や葉裏の赤が美しいシーズンばかりです。しかしそれは、一年というサイクルからすればごくわずかな期間にすぎません。いま、牧場で働く皆さんが中山競馬場の春雨など平然と受け止めている姿に、極寒の地の風雪と向き合っている日常と、それを厭わない強い意志をあらためて実感した私は、献身という言葉の本当の意味を思い、そして、もう一歩踏み込んだ感謝の念にとらわれたのです。

なんとか恩返しをしたい。その思いは社台ファームの皆さんに対してのみならず、この縁を取り持ってくれた競馬そのものに対しても深まるばかりでした。とはいうものの、では何をしたらいいのか、具体的なアイデアなどそう簡単に浮かぶものではありません。考えあぐねているところへ、コートの裾の水滴を払いながら吉田照哉さんがこんな言葉をかけてくださいました。

「原さん、競馬、楽しいでしょ!?」

一頭の馬には多くの人々がかかわっていて、分かちあえる喜びのなかに勝利の本当の価値があります。まさに競馬ならではの楽しさを、不器用ながらも、いまなら身をもって伝えることはできそうです。吉田照哉さんの笑顔に、私なりの恩返しのかたちがおぼろげに見えてきた気がしました。

そういえば、飯塚会長も、新潟馬主協会は馬を持つ楽しさを発信するためのツールであるといつもおっしゃっていました。ならば、背伸びせず、私の歩幅で協会の活動に参加することも、ささやかな恩返しといえなくはないのかもしれません。

実はこのわずか3週間ほど前に、私は新潟馬主協会の監事を仰せつかっていました。正直に申しあげれば、お引き受けはしたものの、私には荷が重過ぎるのではないかとずっと思い悩んでいたところだったのです。

「楽しいです!」

少しだけ胸を張って、吉田照哉さんにお答えしてみよう――これまでの迷いを、降りつづく雨が断ち切ってくれたのはこのときです。

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