協会の歴史

新潟競馬場の歴史 昭和~

昭和12年

競馬法の改正により、全国11競馬倶楽部が合体して、日本競馬会新潟競馬場となる。

18年

太平洋戦争の激化により、競馬場の機能を閉鎖し、施設いっさいが陸軍軍医学校に提供される。

23年

競馬法改正により、日本競馬会は解散し、国営競馬(農林省競馬部)となる。

24年

国は新潟県に対し、競馬場設備の使用を認め地方競馬を開催する。

29年

日本中央競馬会法が交付され、特殊法人日本中央競馬会の発足に伴い日本中央競馬会新潟競馬場となる。

39年

信濃川関屋分水事業に関連して、競馬場敷地を居住者の代替地として新潟県に提供することになったので、県下北蒲原郡豊栄町(現在の新潟市)地内に競馬場建設を着手する。

40年

新しい競馬場が完成し、7月10日から8日間、中央競馬が開催される。

農林水産省賞典新潟記念(GⅢ)創設。

41年

社団法人中央競馬新潟馬主協会創立。初代会長に笹加津恵就任。会員数21名。関屋記念(GⅢ)創設。

45年

二代会長 堀内悦夫就任

46年

三代会長 等々力英男就任

48年

メインスタンドが改築される。障害馬場を設置。

51年7月

勝馬投票券の発売方法をトータルゼータシステムにより機械化した。

52年

古川排水路と市道付替に伴い、下見所改修と屋外表示装置の新設を実施。

54年

 

四代会長 上原正良就任。

新潟大賞典(GⅢ)創設。

56年

新潟3歳ステークス(GⅢ)創設。

58年12月

新潟サービスセンターおよび新潟電話投票所開設。

59年12月

映像伝送システム設置。これよりレースが場内テレビで観戦できるようになった。

60年

 

厩舎全面改築。調教用地下馬道新設。

新潟競馬20周年記念式典。

62年

 

入場門側スタンド改築工事着工。

当協会会報「夢を追って」創刊。

63年

 

五代会長 百々猛就任。

アイビススタンド竣工。

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