協会だより

夢を追って

新潟馬主によるリレーエッセー

思い出の愛馬

社団法人 新潟馬主協会 副会長 村木 篤

2011年8月22日

馬主になり早30年になります。いつもそばで応援している愛馬たちの活躍を目の当たりにすると、毎回励まされたり、笑顔をもらったり、勇気をもらったり、悔しい思いをしたりといろいろな感情が湧いてきます。1頭の馬に思いを寄せ馬券を手にするファンの方々のなかにもそんな思いを抱く方も少なからずいらっしゃると思います。今回は所有馬で思い出の愛馬の1頭でもあります「ストロングブラッド(父トウカイテイオー 母ワイプザアイ)」の話をしたいと思います。ブラッドは北海道静内の千代田牧場で1999年3月に生まれました(千代田牧場とはブラッドが縁でお付き合いが始まりました)。

新潟馬主協会副会長村木篤

2002年1月に新馬勝ち、5月に2勝目。4歳になり1勝を上げ、金蹄ステークスで勝利して、ついにオープンクラス入り。福島のカブトヤマ記念(GⅢ)で重賞を手に入れることができました。このタイトルを手にした福島競馬場・・・新潟からも近く、馬と共に数々の思い出があります。競馬場から見える信夫山をはじめ、近くを流れている阿武隈川。大きな自然に包まれた大好きな競馬場です。

施行時期を秋から春に移して行われたGⅢカブトヤマ記念(4歳以上・父内国産・別定・芝1800m)。芝のレースは夏木立賞のみの勝ち星。その後、芝レースは惨敗続き。気持ちどうなのかな~という思いがありました。その当時の管理調教師の増澤末夫先生は明るく「大丈夫!」なんとかなる的な自信でした。勝ったからいえますが、NHKマイルC3着馬サマーキャンドルの半弟なので芝でも走って当然だったのでしょう。鞍上の二本柳壮騎手もはにかみながら勝利ジョッキーの台に上がっていたことを思い出します。本当に嬉しかったです。9番人気で(単勝3000円)馬券も嬉しく、あの時のことを思うと自然に笑みがこぼれます。

ストロングブラッド 2003年 カブトヤマ記念 ストロングブラッド 2003年 カブトヤマ記念

そして、GⅢさくらんぼ記念(山形・上山)勝利と続きました。上山には地元新潟から車に乗って応援に駆けつけ、増澤先生も娘さん御夫婦と一緒に応援に来てくださいました。心強く負ける気持にはなれませんでした。武豊騎手と泥をかぶっての戦い。勇ましく可愛い愛馬の姿に拍手。勝利を手に暗い山の中、帰り道の食堂で祝杯をわいわい楽しくしたことを思い出します。5歳は七夕賞・さきたま杯2着、GⅢ群馬記念が唯一の1勝でした。

6歳になり、あの『かしわ記念』でGⅠの勝利を内田博幸騎手とのコンビで手に入れることができました。たまたま仕事で応援に行けず息子夫婦が駆けつけて、私はテレビ観戦!タイムパラドックス、アドマイヤドン、メイショウボーラーなど数々のGⅠホースたちを差し押さえ堂々の勝利です。すごい競走馬たちと肩を並べて走っていた愛馬、改めてよく頑張ったと頭をなでてあげたい気持ちです。嬉しい勝利です。トウカイテイオーの血統を追っているファンの方々からも祝福のお手紙をいただいたりしてファンの方々の応援を実感した出来事です。

ストロングブラッド 2005年 かしわ記念 ストロングブラッド 2005年 かしわ記念

帝王賞は、大井競馬場へ観戦に出かけ、ハラハラしながらも大健闘の2着。すごい!最後まで諦めず最後までハラハラドキドキさせてもらいました。その後、屈腱炎に苦しみ長期の休養を取り、騙し騙しレースに臨みました。そして、中央26戦5勝、地方12戦3勝。8歳で競走馬生活にピリオドを打ちました。

ブラッドは出走レースに関わるエピソードがなぜかついて回ることの多い愛馬です。ブラッドが重賞レースに勝つとそのレースはその年を最後に廃止となってしまう。かしわ記念を除く重賞はブラッドを最後の勝ち馬として廃止となっています。廃止の事情は、カブトヤマ記念が福島牝馬ステークスへの移行、さくらんぼ記念と群馬記念は施行競馬場の閉場です。また、ブラッドが2着になったレースの勝ち馬はその後2度と勝てないというエピソードまで出てきました(笑)。しかし、帝王賞勝利馬タイムパラドックスはその後も大活躍です。このエピソードははずれ!

引退後は世田谷の馬事公苑で乗馬になりました。2011年、ブラッドは12歳でしょうか。今年からはカブトヤマ記念で縁があった福島県へ。南相馬市の大瀧馬事公苑で功労馬として余生を送っていたそうです。ご存知の通り東日本大震災で被災したため、3月下旬からは茨城県牛久市常総ホースパークでお世話になっているとの情報をいただきほっとしています。ありがたい気持ちでいっぱいになりました。

ブラッドの思い出話というか、取り留めのない内容になってしまいました。1頭の馬を通して、いろいろな人が関わり、繋がり、一喜一憂、一期一会、自分の人生にも豊かさ、膨らみや弾みを与えてもらいます。また、馬主協会の方々とそれぞれの愛馬の話ができるのもうれしい時間です。

3月の震災からもう5か月の時間が経ちました。改めて被災された皆様にお見舞い申し上げます。福島競馬場のスタンドや発売設備損壊。6月25日から場外発売を再開されたもののスタンドは復旧工事のため閉鎖されているとのことです。

あの緑豊かで大好きな競馬場が1日も早く元の形になって競走馬たちファンンの方々や関係者が安心して再開できることを待ち望みます。

千代田牧場 探訪記

代表取締役 飯田 正剛

2011年7月1日

このたび新潟馬主協会でホームページを開設され、その第1回の「会員牧場めぐり」の企画への寄稿依頼がありましたので、ペンを執らせて頂きます。

私が新潟馬主協会の会員になるきっかけは、副会長である村木篤さんの勧めによるものでした。また、新しく会長に就任された飯塚知一さんとは、5勝を挙げ活躍したシャドーランサーやパラダイスシャドウ(3勝)を共有するなど、昔から親交が深かったこともあり、入会となりました。

代表取締役 飯田 正剛氏

当場の活躍馬には、ストロングブラッド(05年かしわ記念GⅠ優勝)、ストロングガルーダ(09年ラジオNIKKEI賞GⅢ)の他、賞金1億円を突破したストロングバサラなど、村木オーナーの愛馬も多く、09年には当場生産の愛馬が5週連続で優勝するなど、非常に相性の良いオーナーです。

競馬以外でも、夏の新潟開催では毎週のようにおいしい地酒を酌み交わしたり、北海道の牧場に遊びに来られた際にはバーベキューを楽しんだりと、家族ぐるみのお付き合いをさせて頂いています。

当場では毎年90頭前後の馬を生産し、育成・休養まで行っています。主にトレセンからの休養・短期放牧を行う千葉、生産・育成・休養を行う静内、離乳後の育成を行う新冠の3場を拠点としています。

今ではBTCや大手の牧場ではめずらしくなくなった屋根付坂路を北海道で初めて導入したのは当場であり、真冬でも運動が可能となりました。

坂路の終点は故障の発生を防ぐため、駆け上がった馬がそのまま1000mトラックに入れるよう設計されています。このため急なブレーキをかけることがなくなり、運動馬が腰を痛めることがありません。

敷材にはバークを使用し、脚元への負担を軽減しています。各馬の状況を把握し、これらのコースを組み合わせた多様な調教を行えることが大きな特徴となっています。

また、新築したゲストルームからは、調教馬場や放牧地が一望できるようになっています。朝、目が覚めて外を覗いてみれば、放牧地を駆ける愛馬が…なんていうのも素敵でしょう?

牧場探訪記(会員様の愛馬に会いにいく!)

牧場探訪記(会員様の愛馬に会いにいく!)

牧場探訪記(会員様の愛馬に会いにいく!)

当場の血統のメインは、昨年のジュベナイルフィリーズ2着、桜花賞2着、オークス3着と牝馬のGⅠ路線で活躍したホエールキャプチャをはじめ、1987年の秋5週間の間に天皇賞、マイルチャンピオンシップ、エリザベス女王杯を制したニッポテイオー、タレンティドガールGⅠ兄弟に、クラシックレースは骨折で出走を断念したものの、エリザベス女王杯を制し、旧3歳、4歳牝馬年度代表馬に輝いたビクトリアクラウンを送り出したビューチフルドリーマー系ですが、毎年米国の1歳セリ、繁殖セリともに足を運び、海外からの新たな血の導入も積極的に行っています。

年に1頭か2頭かの購入ですが、近年その中には昨年ベルモントS・GⅠを勝ったドロッセルマイヤーの叔母スパークルジュエル。今年のプリークネスS・GⅠを見事逃げ切り、ケンタッキーダービー4着、ベルモントステークス5着とアメリカの3冠レースに活躍したシャックルフォードの姉で本馬自身も11戦6勝、アラバマS・GⅠ、マザーグースS・GⅠ2着など大変すばらしい成績を残したレディジョアンなど皆様に大変興味を持って頂ける血統を取り揃えていますのでご覧いただければ幸いです。

お忙しい中、牧場を訪れて下さるオーナーの方々には、せっかくですからアットホームな雰囲気で、リラックスして思いっきり楽しんで頂きたいというのが当場のモットー。千代田流のおもてなしで皆様に素敵な時間を提供致します。新潟馬主協会の皆様とも、馬を通してできたご縁を大切にしていきたいと思っています。

当場についてより詳しくお知りになりたい方は是非、当場のホームページをご覧下さい。

㈲千代田牧場: http://www.chiyoda-farm.com/

思い出の馬と馬名に込める想い

社団法人 新潟馬主協会 副会長 齊藤 四方司

2011年7月1日

馬主になってから沢山の競走馬を所有してきました。G1を勝ってくれた馬たちもいます。出走できなかった馬たちもいます。しかし皆思い出深い馬ばかりです。その時代・時代で起こった事象や、世情を想い、その時の牧場のこと、調教師さん達のこと、騎手さん達のことを思い出すとき、あんなこと、こんなことがあったんだな~と感慨一入です。係わった競走馬達その1頭1頭の周りで様々な出会いがありました。そんな中で、馬主の楽しみの1つに自分の競走馬に命名すると言う事があります。勿論規定はあります。

新潟馬主協会副会長斉藤四方司

日本中央競馬会競馬施行規程、第3章 競走馬登録

第22条 次の各号のいずれかに該当する馬名は、登録しない。

(1)有名な馬の名称若しくは馬名と同じである馬名又はこれらと紛らわしい馬名 ・・・・・・・・

(4)奇きょうな馬名

(5)明らかに営利のための広告宣伝を目的として会社名、商品名等と同じである名称を附したと

   認められ、かつ、競走馬の馬名としてふさわしくない馬名

(6)1字の馬名又は10字以上の馬名

・・・・・・・・・・・・・・

当該血統の登録に係る原簿に記載されている馬名と異なる馬名

・・・・・・・・・・・・・・

そんな規定がある中で、9文字の中に自分の思いを込めて名前を付けます。 冠名を付ける方もおられますが、私は冠名はつけず、それぞれの馬に違った名前を付けてきました。その思いとその名前の由来のいくつかをご紹介してみたいと思います。

まず 『 フジキセキ 』当地・新潟の新馬戦で圧勝し、朝日杯3歳ステークスも勝ってダービー候補にもなりました。4戦全勝、弥生賞後に屈腱炎を発症し、引退後は種牡馬として活躍しています。馬名登録の時は、たしか『 富士奇石 』として申請したような記憶があります?

鉱物に詳しい友人の勧めで静岡県富士市出身の私は「富士山とキセキ(輝石、奇跡、軌跡)輝くような、ミラクルを起こして欲しい、栄光の軌跡を残して欲しい」そんな心情をこめて付けました。

『 石 』の文字が付いたことで当時、渡辺栄調教師さんが「ちょっと重そうな名前ですね」と言って笑っていたことを思い出しました。

フジキセキ 1994年 3歳新馬

フジキセキ 1994年 3歳新馬

確かに新馬戦を勝った時の体重は472kg、もみじステークスが486kg、朝日杯が492kg、翌年の弥生賞のときが508kgでしたから、確かにどんどん重くなっていきました。競走しながら僅か7ヶ月間で40kg近く大きくなりました。

あの年の同期で所有した競走馬名は他に『 レザ-ムーン 』『 ステッペンウルフ 』という2頭がおりました。 ノーザンテースト産駒の『 レザームーン 』の命名の想いは「三日月に似てカミソリのような切れ味」のイメージで銀座の画廊の友人が考えてくれました。

スピードがあり、主にダート短距離で活躍しオープンまで入って7勝を挙げました。 またサンデーサイレンス産駒の『 ステッペンウルフ 』の名は映画『 イージーライダー 』(1969年公開の映画でピーター・フオンダとデニス・ホッパー主演、ハーレー・ダビットソンのバイクで旅する光景がとても印象的な映画です。 )の中で演奏された曲『 ワイルドでいこう 』、それを演奏したバンドの名前を頂戴したような記憶があります。元々はヘルマン・ヘッセの小説STEPPENWOLF( 荒野の狼 )からのようですが。

私はこの名前は大変気に入っていましたので、大成してくれることを願ったのですが、長距離得意で、通算5勝、最後のレースが1997年夏の函館記念、アロハドリームの4着でした。

今日はここまでとさせていただきます。またの機会にこの続きがお話できたらと思います。

レザ-ムーン

レザ-ムーン 1997年 栗東ステークス

ステッペンウルフ

ステッペンウルフ 1997年 秩父特別

最後になりますが、これから馬主を目指している皆さん、競走馬に自分の気持ちを込めて命名することは馬主冥利に尽きます、ましてやその馬が競走馬として大成した時はこの上の無いうれしさです。

どうぞ沢山の方々が馬主になって、素晴らしい馬名を命名して下さい。

そして、その時は是非、新潟馬主協会に入会して下さい。入会をお待ちしております。

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